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プロジェクト

第1回分火国キューバ

キューバ

『第1回世界ともしびプロジェクト』実施国は
キューバ共和国に決定しました。

1962年核による破滅の危機から免れた歴史を持ち、常に日本の被害者へ追悼を尽くすキューバ共和国。私たちは、キューバの長年の追悼をねぎらい『世界ともしびプロジェクト』2007年分火国に決定しました。

『第1回世界ともしびプロジェクト』実施内容

  • ハバナ市ベダード地区 ジョン・レノン公園内に2009年『平和の火』永久モニュメント建設
  • 小学校5・6年生用に平和教育用『広島・長崎』教科書配布

キューバってどんな国?

私たちが暮らす日本からちょうど地球の反対に位置する場所に、キューバ共和国があります。

キューバ

灼熱の太陽の下、街を歩けば軽快な音楽が風に乗って聞こえてくる。古びられた廃退する建物からは、辺りを賑わす人々の話し声と笑い声、排気ガスを撒き散らしながら通りを駆け抜けるクラシックカー。そんなレトロで、どこかノスタルジックな街の形相にからは、人が逞しく生きている姿を忌憚なく見らつけられます。異国の情緒に翻弄されるように、一度この国を訪れた者は、不思議な魔力に取りつかれてしまう。気がつけば、キューバの虜になってしまっているのです。

そんなカリブ海の楽園と称され、米国フロリダ半島の南90マイルに位置するキューバが目指す国こそが、日本であり、同じ島国である彼らは、カリブの日本になりたいとまで、日本の勤勉さ勤労さに敬服を抱いているのをご存知でしょうか?

フィデル・カストロ議長の広島訪問
『人類の一人としてこの場所を訪れて慰霊する責務がある 』

慰霊碑の前に立つチェ(左)

慰霊碑の前に立つチェ(左)

カストロ議長は、2003年クアラルンプールで開かれた非同盟諸国会議に出席した後、中国とベトナムを訪問し、その帰路の途中に、日本に給油目的の非公式訪問を果たしました。しかし、目的は給油ではなかったのです。この時、カストロ議長は日本政府に対して、広島訪問を要請したのでした。
しかし、アメリカへの配慮から日本政府がとった配慮の策が、単なる給油を目的とするものであった。それも広島空港からの入国許可はもらえず、敢え無く羽田からの入国を果たしたのです。そして、2003年3月1日、カストロ議長は、長年の念願だった広島を訪問するため日本に降り立ったのです。
その後、小泉元首相をはじめ要人との対談を済ませると、一路東京から広島へと向かいました。

慰霊碑の前に立つフィデル・カストロ

慰霊碑の前に立つフィデル・カストロ

3月3日、カストロ議長は、広島原爆慰霊碑で献花しました。その際、彼を広島に呼び寄せたのは、嘗ての盟友チェ・ゲバラが残した一枚の写真と手紙からだと自ら述べました。
カストロ議長は献花した後、資料館を見て回った際に、慰霊碑の前に立つチェ・ゲバラの古ぼけた写真を見つけ、「もし先にこの写真の存在を知っていたら、このパネルと並んで献花したのに…」と呟いたそうです。
そして、原爆資料館の芳名録には、「このような野蛮な行為を決して犯すことのないように」と書き綴り、また昼食会の挨拶では、「1062年のミサイル危機の時に、私たちももう少しで核の犠牲になるところだった。広島の皆さんと危機感を分かち合えると思う」と述べ、翌3月4日、キューバへ向かって離日したのです。

キューバ(CUBA)

キューバ国旗

【正式名】 キューバ共和国 (Republica de Cuba)
【通称】 キューバ(Cuba)
【国土】 全長約1250?、面積は日本本州の約半分110,922km2 カリブ海最大の島
【人口】 約1125万人(2005年)
【首都】 ハバナ (La Habana)
【言葉】 スペイン語
【気候】 亜熱帯性海洋気候で年間平均気温は25.5度。年間を通して貿易風が吹くために、暑い夏も比較的しのぎやすい。乾期は11〜4月、雨期は7〜10月。ハリケーンは9月と10月に多い。
【元首】 フィデル・カストロ・ルス国家評議会議長 (Fidel Castro Ruz)
【政体】 共和制(勤労者の社会主義国)
【人種】 ヨーロッパ系25%、混血50%、アフリカ系25%(推定)
【宗教】 原則として自由。カトリックとアフリカ宗教が主。無宗教の人も多い
【通貨】 ペソ(Peso)
【時差】 日本との時差はマイナス14時間 (サマータイム採用時はマイナス13時間)

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