このページの先頭ですこのページの本文へ

プロジェクト

分火国決定の背景

チェ・ゲバラ

チェ・ゲバラ
1928/6/14〜1967/10/9 享年39歳

チェ・ゲバラが残した思い

1959年7月25日、戦後14年経ったこの日、遥か遠くカリブ海に浮かぶキューバ共和国から、当時31歳の若きチェ・ゲバラが広島へやって来ました。アルゼンチン国籍を持ち、キューバ革命で戦い、その後キューバの親善使節団の代表として日本に訪れたチェ・ゲバラは、外務省が勧める無名戦士の墓を訪れることを拒み、自らの意思を貫いて自費で広島へ向かったのです。

チェ・ゲバラが撮った写真

その時、広島の原爆死没者慰霊碑を前にしたチェ・ゲバラは、過去の惨劇を知るよう胸が張り裂ける思いで佇み、慰霊碑に向かって写真を自分のカメラに収めました。その写真やチェ・ゲバラが広島で受けた衝撃によるメモは後世貴重な存在になったのです。
それから3年後の1962年、ソ連がキューバに核ミサイルを配備したことにより起こったキューバ危機。その時、あわや第二の被爆国として惨劇に見舞われそうになりながらも、無事解決の結末をもたらした裏には、チェ・ゲバラの広島訪問があるとも言われています。



フィデル・カストロ

フィデル・カストロ

今でも続く慰霊祭

カストロ政権後、キューバ危機を経たキューバでは、毎年8月6日に日本の被爆者を偲び、「この日を忘れてはいけない」とカストロ議長自ら演説台に立ち訴え続けています。また中学校の授業では、歴史の時間に日本の原爆を勉強したり、毎年テレビなどは朝から原爆関係の映像を流し、慰霊関係の行事も頻繁に行われています。そのため、キューバの国民は全員広島・長崎の原爆の歴史を知り、その日を特別な日として扱ってくれているのです。


ページの先頭へ戻る

ホームプロジェクトボランティアお知らせNPO法人アテナ・ジャパンについてお問い合わせリンク