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プロジェクト

プロジェクト発足に至るまで

“平和の火”と出会った経験とキューバでの広島への想いを知ったことが結びつき、『世界ともしびプロジェクト』が生まれました。

‐NPO法人アテナ・ジャパン代表 吉田沙由里

平和の火との出逢い

原爆ドーム

原爆ドーム

2000年末、ジャーナリストとして星野村の原爆の残り火について取材する中、初めて“平和の火”を目にした時、それまで漠然としていた平和という概念が“形”として感じられたことで、平和への想いが大きく変わりました。
その後、訪れた原爆ドームや資料館で、更に原爆の惨劇を実感し、広島・長崎を忘れてはいけないという大切な歴史の意義を知ったのです。

キューバとの出逢い

キューバの人々

2003年、NY在住時、友人に誘われてキューバの写真展に行った際、そこで初めて目にするキューバの光景は、まるでNYのハーレムと変わらない廃退した街の風景。でも、そんな中で生きる人々の瞳が美しいまでに輝いていたことに驚いたことで、「写真の向こうに広がる姿を見てみたい!」と、早速キューバへ向かったのです。
そこで見たキューバの生きる姿。決して豊かではない生活にもかかわらず、活き活きと暮らす人の姿や底抜けに明るい国民性の内にある強靭なまでの思想。それは、彼らの辿ってきた歴史こそが、彼らに生きる喜びと強さを与えた。
そんな彼らは、楽天的に生きているようでも、ちゃんと50年先の未来を見据えながらも、今という瞬間を精一杯生きようとする情熱を持っている。その姿にキューバを敬愛するようになったのです。

キューバを変えた広島との出逢い

カストロとチェ・ゲバラ

カストロとチェ・ゲバラ

2003年3月、中国に訪問の帰路、日本政府との交渉を重ねた結果、カストロ議長は訪日を果たしました。
ようやく訪日を果たしたカストロ議長は、広島訪問が長年の夢だったと言い、更にその夢は盟友チェ・ゲバラがカストロ議長に生前残した言葉でもあり、一枚の写真の存在があったからだと告白しました。
それは、終戦から14年後の1959年。チェ・ゲバラが日本外交に訪れた際、自ら自費で広島へ行ったのです。
そこで目にした現実、その衝撃は想像を超えるものだったのです。彼は、その時自らの手でシャッターを切り慰霊碑を写真に収めました。
キューバ帰国後、その衝撃をカストロ議長に伝えるとともに「君も絶対に広島に行くべきだ」と言い残すと共に、国民にも広島・長崎の意義を問う書面を多く残し、想い半ばで命を落したのです。
そんなチェ・ゲバラの意思を継ぐために、カストロ議長は広島へ来たのです。

プロジェクト発足への動機

2006年7月から療養のためにカストロ議長がいったん公務を離れていた頃、キューバ共和国代表のカストロ議長の病状が思わしくないとの報道が流れはじめました。
その時、2003年にカストロ議長が広島のために訪日した時の詳しい経緯や理由など、キューバをよく知る人から聞く機会があったのです。
 その時、一国の代表が自らの意志で広島へ来たという意思に対して、真摯に応えなかった日本の政府に対し、憤りを感じると共に、日本人として何か感謝を形で表わしたいという思いに駆られたのです。そんな想いから、自ら過去に出会った“平和の火”を届けたいという思いに広がっていったのです。

プロジェクト発足

そこで、広島へ訪問した二人の英雄チェ・ゲバラとフィデル・カストロの勇姿に対して感謝を示すと共に、更に日本よりも広島・長崎の歴史を大切に扱ってくれるキューバに火を運ぶことで、一緒に世界に向けて平和を訴えていきたいと『世界ともしびプロジェクト』を発足しました。

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